エピタフカレー
新宿ゴールデン街のカレー屋さん。
所謂、ヤドカリ系のカレー屋さんである。
バー営業している店舗の昼の時間を借りて営業中。
カレー好きが高じてインドで食べ歩きしたものの日本のコクのあるカレーの方が好きという結論が出てしまい、インドカレーと日本カレーの折衷で美味しいカレーを作ろうと切磋琢磨し作り上げたカレーでかつ愛情と執念によって複雑&繊細な味を提供しているそうである。
ライスも当然、日本米とインド米のミックス。
メニューは、
・ケララチキン
・ポークビンダルー
・チェティナードチキン
の3種にチャイ、コーヒー、ビール等の飲み物。
2種あいがけなんかも出来る様だ。
パクチーがアクセントで乗って出て来るが、不要な場合は事前に言うと乗せずに出してくれる。
店主は過去に発狂系DJとしてクラブを荒らしお客さんを動揺させつつも手作りカレーを振舞っていたとの事。
ワールドミュージックやJAZZ、プログレのかかるゴールデン街の不思議空間で3rd waveカレーを食べて神秘体験をして欲しいと宣っておりました。
オススメです。
火曜日定休 11:00〜17:00
月曜日のみ夜も営業
ニューマンズ・オウンというドレッシングについて (Newman's Own)
上記名作映画に出演している名優のポール・ニューマンが作ったドレッシングである。
海外では有名だが、日本ではあまり知っている人はいないのではないだろうか?
ポール・ニューマン家の秘伝のレシピで作られ、売上は全額チャリティーとして使われるというボランティア・スピリッツ溢れる最高の逸品。
味は間違いなく更に募金して誇らしい気分になれるという良いとこ取りのドレッシング。
ポール・ニューマンもこの味でサラダを食べていたんだなあとノスタルジックさをふんだんに含みつつ美味しく頂ける事でしょう。
なんと、ワインまで発売されていた!
ポール・ニューマン味のワイン、味わってみたい。
更にはオリジナル・ソングCDまで!
奥が深いぜNewman's Own!
未来食堂
神保町にある定食屋さん。
色々と工夫を凝らした所謂D.I.Y.系の思想で経営しているものと思われる。
日替わりランチは一種類で店に入った瞬間に用意され、コの字型のレイアウト座席に座った時には定食が出て来るという、シビアな時間を生きている方々には非常に有意義なシステムである。
野菜は契約農家から提供されているらしく、定食のプレート提供時に○○農家さんのじゃがいもです、と託けがある。
食事は素朴な味わいながらも美味しく食べれるが、店内戒厳令的な状態なのか店員もお客さんも私語をする者が居ない、沈黙の空間。
食後に農家さんに向けてノートに感想文を記入する。
神保町周辺には、色々と凝ったテーマを持った飲食店があるが、このお店も一度は行ってみる価値はあるだろう。
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フジヤマドラゴンカレー
変わり種カレーの一種と言えば良いのだろうか?
大きな盃状の皿に丸く盛ったライスと周囲にかかるカレールウ。
更にニンニク、ネギ、生卵が付いたスタイルである。
福神漬とらっきょうの代わりにキャベツのピクルスとフライドガーリック。
トッピングは、ゴーゴーカレーやココイチ等と同じく揚げ物メインである。
この店のウリはカレーをある程度食べた後にパイタンスープをかけて雑炊として食べる事が出来る。
雑炊にした時に、前述したニンニク、ネギ、生卵が生きてくるのだ。
味も美味しく値段も手頃なので足繁く通っている。
2.5キロを20分以内に食べたら無料になるというチャレンジメニューもあったりする。
秋葉原らしいハイブリッドなカレー。
オススメです。
- ジャンル:カレーライス
- 住所: 千代田区神田岩本町1-13 高原ビル 2F
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- (写真提供:ハンフリーボガート)
- フジヤマドラゴンカレー 秋葉原店をぐるなびで見る | 秋葉原のカレーライスをぐるなびで見る
グリーンプラザの思いで
2016年12月25日にグリーンプラザ新宿が閉館した。
1982年にオープンして34年間、新宿にあるサウナの中でも最大面積でカプセルホテル、女性向けサウナ等併設され充実した環境であったが、あっさりと終焉を迎えてしまったのだ。
私がグリーンプラザに通い始めたのは1998年頃だっただろうか。
その頃と終末期ではレイアウトやサービス、客層も変わってしまっているので、餞にいくつか思い出した事を書き連ねて行こうと思う。
90年代末期の新宿歌舞伎町というのは、ある意味全てが揃っていた最後の年代、歌舞伎町はおっかない!というイメージそのままの出来事や人物が跳梁跋扈していた時代であった。
いまや飲食店ばかりとなってしまったが、あらゆる風俗店とギャンブル店が軒を連ね、モロにヤクザという人や明らかにいかがわしい風体をした人物がその辺にぬうと立っていたりウロウロしていたものだ。
私は当時歌舞伎町の昼夜を満喫して過ごしていた濃密な時期があり、ゲーム喫茶やサテライト喫茶諸々を覗きに行ったりしていた。
深夜遊んで夜明けにサウナで寝るというのがお決まりのパターンだった。
いくつかのサウナで寝泊まりしたが、やはり一番安心出来たのがグリーンプラザであった。
他店では風呂場が入墨品評会を模した様になっていたり、ハッテン場みたいな雰囲気を醸し出している仮眠室があったりしていたが、グリーンプラザはその辺りの濃厚な異界感を特に感じず安心して眠れた。
90年末期のグリーンプラザの浴場は、日焼けマシン等が置いてあった所に仮眠室があり、反対側のスペースがミニジムの様になっておりちょっとしたトレーニングが出来たりしたものだ。
アカスリ場が泳げる位の巨大な水風呂で、末期の円形水風呂があった所がジャグジーだった。
仮眠室では客層が末期の一般層よりも荒ぶっている職業の方々が多く、横になっていると隣で借金取りの方の携帯電話での督促や恫喝紛いの言動を延々と子守唄の様に聞かされたものだ。
また、付近からひょいと手が飛び出して来て股間を撫ぜられたり、地鳴りのような大イビキをかいているオッサンのおでこを怒りの余りストンピングしたオッサンが目を覚ましたオッサンに掴みかかられたり、仮眠マットの下に隠しておいた大切な封筒が消えた!と従業員に激昂する薬物中毒っぽい人の訴えを大声で聞かされたりと人間動物園としての素晴らしいエピソードを得られたのは貴重な経験だったと思う。
2000年を過ぎて徐々にレイアウトが変わって綺麗になって行き、賑やかな方々は大久保寄りのサウナに移って行き、普通のサウナに落ち着いたかと思った矢先での閉店。
場所も良かったのでどこかの企業が引き継いでくれればと思うがこのまま消えて行って昭和〜平成の思い出として語られるのも悪くは無いのかなと。
今はそんな風に思っています。
写真家の木村肇と言う生き方 (Photographer Hajime Kimura)
その青年は外見的にはバックパッカー風に見えたのですが、大体においてバックパッカー的な生活をしている人はバックパッカールールという独自の振る舞いが身についていたりする為、初対面時にも落ち着いた印象で「海外慣れ」を周囲に振りまく印象がありますが、彼はやたらと皆にフレンドリーでありつつも慎ましく話しかけていたので旅行素人の様な佇まいを醸し出していました。
彼はちょっと面白そうだ、と私の経験からくる直感がありました。
初対面でありながらも人懐っこく幸せそうな笑顔を浮かべる彼に、仕事は何をしているのですか?と問いかけると、彼ははにかみながら「一応、写真なんです」と教えてくれました。
彼の名前は「木村肇」と言います。
聞けば彼は古い写真の技術を学ぶ為に現在ドイツに在住しているとの事でした。
丁度私も日本を立つ前にPND 写真集飲み会 in 代官山というイベントへ友人に誘われて覗きに行き、写真家達の活動を見てきたばかりだったので、素人的な軽い気持ちでどんな写真を撮っているのか聞いてみたところ、彼は「連続写真みたいなものなんですけど…」と謙遜した表情で説明してくれました。
早速ググってみるよ、と言い検索しようとすると、
「英語で調べて下さい、僕は日本では無名なので…」とまた照れた感じで呟きました。
言われた通りに英語名で検索してみると彼の名前と記事、写真が出てきました。
写真を目の当たりにした時に気持ちが吸い込まれて食い入る様に凝視してしまいました。
彼の写真は白黒写真で粒子が荒く、被写体から水墨画の様に白黒の濃厚が荒々しく湧き出ており非常にドラマ性を感じました。
私が見たのは日本の山奥で撮られた一枚でしたが、昭和初期を切り取った様な強い主張のある画で、当然その場所まで行かなければ撮れない写真であり、何よりも見せたい物の強いテーマが読み取りやすかったのです。
これ凄いね!ありきたりな言葉ではありますが素直に浮かんだ感想を告げると、
「でも日本じゃ全く売れなかったですねー。だから今海外にいるんですけど」とはにかんだのでした。
海外では森山大道や荒木経惟という先人達が日本の写真を世界に広めてくれたので、木村さんの写真も理解され人気があるのだと云う事でした。
こんな素晴らしい写真家が海外に流出してしまっている状況は何なのだ?
日本のメディアはコピーライティングとプレゼンに支配されているのでは?と若干やるせない気持ちになりながらも、クサる事無く自らの人生を切り開いている木村さんの様な人に会えた事は大いなる僥倖でありました。
この文章を読んで「木村肇」という写真家に興味を持たれた方は是非一冊彼の写真集を見て感じて下さい。
太い骨のある写真とは、こういう事なのだと理解出来るでしょう。
そして、海外に活路を求めて行った素晴らしく才能のある日本人芸術家達が戻って来た際には、優しく迎え入れられる様な環境に日本が変革していく事を願ってやみません。
ロンドン「SOHO」モデルクラブ探索記 2016年12月某日
「イギリスに来たからには外人を抱いてみたいんですよ」
N氏は悪戯を考えているような笑顔で言った。
俺とN氏はとある理由があり、2人で日本からイギリスまで一緒に行動する事になったのだが、イギリスで何か観光でもしないのか?という俺の質問に対してN氏は前述の言葉を述べたのであった。
既に場所もネットで調べてきたらしく、
「SOHO地区って所にあるようなので是非行きたい!」と強く主張をしてきた。
大英博物館とかは?と尋ねるも、
「歴史とか興味ないんですよ、それより外人抱いた事ないから抱いてみたいんです」と、熱く真剣な眼差しで言い放った。
うーん…外人だったら白人でも黒人でも大丈夫ですか?と俺が問いかけると、
「黒人はちょっと…」と言うので、男らしく白黒抱いてみれば良いじゃないですか!
と押してみると、「確かにやってみなくちゃ解かんないですよね…」
と落ち着いて神妙な面持ちとなった所で、
ロンドンのSOHO地区へ行きモデルハウス(所謂ちょんの間)で白人と黒人の娼婦を抱くというプランが決まった。
SOHO地区というのは、ロンドンの繁華街である、ピカデリーサーカス駅とレスタースクエア駅の間辺りにあるのだ。
この辺りの通りの建物に無造作に「MODEL」と書かれた紙が貼ってあるとの事らしい。
俺はピカデリーサーカスやレスタースクエアはウロウロした事はあっても、
モデルハウスを探した事が無かったので、とりあえずそのあたりを歩き回って探してみるしかなかった。
ピカデリーサーカス駅を出ると「Believe it or not」というビックリ博物館があるので、
その並びのミュージカル劇場が沢山ある通りをひたすら真っすぐ進む。
しばらく行って左折するとSOHO公園があるので、
そこを目指して歩く通り(グリークストリート)にモデルハウスはあるらしいのだが、
ネット情報を元に彷徨ってみたが全く見つからず…
まだ明るいから時間が早すぎたのかな?なんてひたすら往復していたその時、
N氏が「これだ!」と指差した。
そこには小さくMODELと書いた付箋用紙が雑居ビル?的な建物の入り口に貼ってあった。
こんなの全然解らないでしょ!ちっさ!
俺達はその慎ましすぎる文字にあきれながらも中に入った。
映画「タクシードライバー」のラストシーンっぽい寒々しさを感じつつ2階からハーヴェイ・カイテル扮するスポーツ的ポン引きが降りて来そうな気配を感じた為、入口付近で少し待ってみたが気の所為のようだった。
誰も降りてこない事を確認後、緊張しつつも2階へとゆっくりと歩を進めた。
どうやらこの建物は2人のモデルが居るらしい。
入り口にも2人の名前とそれぞれのチャイムがあった。
俺達は最上階の部屋にまず向かい、そこから降りていく作戦で階段を上っていった。
3階が最上階の様で階段を上がって正面に部屋があった。
見た目は普通のアパートの部屋にしか見えないが、チャイムを押すように書かれていたので押してみると、コンシュルジュ役のおばあちゃんが出てきた。
普通の白人、イギリス人おばあちゃんだ…
「今仕事中だから後でまた来てね」と早口で言って来たので、もう1階下の部屋にN氏が降りて行った。
直後、「ノー!ノー!」とN氏が凍りついた様な体で呟いていた。
うん?と思い階下へ降りると、別の白人おばあちゃんがセクシー下着姿でN氏に中に入れと捲し立てているのが見えた。
ショックで固まっているN氏にどうするの?と声をかけると我に返ったらしく、
「ノーサンキュ」とN氏が呟いた途端ドアはビシャリと閉じられ俺達は下に降りた。
N氏は深刻な表情になりながら、「いきなりドア開いて出てきたんですよね。
ビックリしたなあ。悪魔のいけにえかよ」と呟いた。
引っ叩かれて中に引きずり込まれたりしてなくて良かったですよ。
それだったら俺はN氏消えても解らなかったと思うし。
そんな事を話しながら更にふらついていたら、洋服屋の入り口左にチラと紙が貼られているのを発見した。
あった!2件目発見である。
こちらは地下1階に1部屋だけあった。
早速慎重に降りてみる。
腹を括ったN氏が呼び鈴を押すとラテン系の女性が出てきた。
顔はお世辞抜きの濃いめ美人で巨大な胸が強く盛り上がっている。
「オーケー」とN氏が呟いた。
ドアを半開きにしたまま交渉するN氏だが英語が聞き取れないのか、女性の質問に答えられない様子。
どうも20£で一回的な事を言われていた。
暫くして交渉は纏ったらしく、俺はドアの正面に置いてある籐製の椅子に腰を下ろした。
半開きのドアを強く閉める音が響いた。
音楽のボリュームが上がる。
これからスタートの様だ。
音楽が鳴っている間にも客が3人ほど降りてきた。
椅子に座っている俺に話かけてくる。
ビジーだよ。と適当に答えると再び男たちは階段を上がっていった。
自発的にコンシュルジュ的な事をやっていると、10分立たぬ間にN氏と女性が出てきた。
女性はあなたもやらないの?と言ってきたが俺はガイドだから、と言って手を振り去る事に。
N氏は精魂尽きたように、「もうダメですね…」と呟いた。
全ての体力を振り絞り最後まで吸い取られたとの事。
通りのカフェに入りN氏の体力復活を待ち、黒人娼婦を探そうと提案するも、今日はギブアップしたいと泣きを入れられてしまった為、断念する方向に。
とりあえずモデルハウス探索は続けて、その間に気力も精力も戻ってくるかもしれないので、と宥め賺しながら新たな店の探索に。
先程通った道を戻ってみると新たに開けている店を発見。
2階に上がりチャイムを鳴らすとコンシュルジュのおばあちゃんが出てきた。
入るの?と言ってきたので、女の子は?と尋ねると反対側のドアが勢い良く開き、
良く言えばブリトニー・スピアーズっぽい感じの女性が下着姿で飛び出てきた。
N氏の正面である。
ブリちゃんは、「あんた達日本人?すっごいサービスしたげるよ!」と映画的なサービストークと手を上下にしごくパフォーマンスを見せてくれた。
お?これはN氏行くか?と思いきやN氏は力無く「ノー」と呟いた。
俺達はこの辺り見学して回っているのでまた来るかも、と言い店を出た。
N氏にさっきの子可愛いじゃないですか?何で行かなかったんですか?と聞いてみると、「あの子可愛かったけど、肌が赤い湿疹だらけで、絶対ナンカ病気持ってますよ」と暗い目をして言った。
明らかにN氏から疲労感と倦怠感+嫌悪感が全身に出ているのが見て取れたので探索を終了にする事にした。
次回行くならば、全てのモデルハウスが営業している時間(夜ですね)に行きましょうと約束を交わしSOHO地区から立ち去ったのであった。
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初めてモデルハウスの探索をしてみましたが、びっくり箱的要素が面白く、入る入らないは問わず楽しめるイベントだと思います。
もし、この文章を読んだ方でモデルハウスにトライしてみたい方がいましたら、夕方以降の方が開いている所が多いのと、ゆっくり歩いて建物の入り口周辺を見回しながら歩くと良いかもです。
以外な所に入り口があったりしますので…