日々日々見聞記也

見て聞いて感じた事を徒然と

グリーンプラザの思いで

2016年12月25日にグリーンプラザ新宿が閉館した。

1982年にオープンして34年間、新宿にあるサウナの中でも最大面積でカプセルホテル、女性向けサウナ等併設され充実した環境であったが、あっさりと終焉を迎えてしまったのだ。

私がグリーンプラザに通い始めたのは1998年頃だっただろうか。

その頃と終末期ではレイアウトやサービス、客層も変わってしまっているので、餞にいくつか思い出した事を書き連ねて行こうと思う。

90年代末期の新宿歌舞伎町というのは、ある意味全てが揃っていた最後の年代、歌舞伎町はおっかない!というイメージそのままの出来事や人物が跳梁跋扈していた時代であった。

いまや飲食店ばかりとなってしまったが、あらゆる風俗店とギャンブル店が軒を連ね、モロにヤクザという人や明らかにいかがわしい風体をした人物がその辺にぬうと立っていたりウロウロしていたものだ。

 私は当時歌舞伎町の昼夜を満喫して過ごしていた濃密な時期があり、ゲーム喫茶やサテライト喫茶諸々を覗きに行ったりしていた。

深夜遊んで夜明けにサウナで寝るというのがお決まりのパターンだった。

いくつかのサウナで寝泊まりしたが、やはり一番安心出来たのがグリーンプラザであった。

他店では風呂場が入墨品評会を模した様になっていたり、ハッテン場みたいな雰囲気を醸し出している仮眠室があったりしていたが、グリーンプラザはその辺りの濃厚な異界感を特に感じず安心して眠れた。

90年末期のグリーンプラザの浴場は、日焼けマシン等が置いてあった所に仮眠室があり、反対側のスペースがミニジムの様になっておりちょっとしたトレーニングが出来たりしたものだ。

アカスリ場が泳げる位の巨大な水風呂で、末期の円形水風呂があった所がジャグジーだった。

 仮眠室では客層が末期の一般層よりも荒ぶっている職業の方々が多く、横になっていると隣で借金取りの方の携帯電話での督促や恫喝紛いの言動を延々と子守唄の様に聞かされたものだ。

また、付近からひょいと手が飛び出して来て股間を撫ぜられたり、地鳴りのような大イビキをかいているオッサンのおでこを怒りの余りストンピングしたオッサンが目を覚ましたオッサンに掴みかかられたり、仮眠マットの下に隠しておいた大切な封筒が消えた!と従業員に激昂する薬物中毒っぽい人の訴えを大声で聞かされたりと人間動物園としての素晴らしいエピソードを得られたのは貴重な経験だったと思う。

2000年を過ぎて徐々にレイアウトが変わって綺麗になって行き、賑やかな方々は大久保寄りのサウナに移って行き、普通のサウナに落ち着いたかと思った矢先での閉店。

場所も良かったのでどこかの企業が引き継いでくれればと思うがこのまま消えて行って昭和〜平成の思い出として語られるのも悪くは無いのかなと。

今はそんな風に思っています。